響鬼終了に寄せて

仮面ライダーカブトには期待している。

結果として響鬼の『完全新生』は失敗に終わった。
その失敗を受けて作られるモノは何か、というのはきっちり見据えていかねばならない。
特撮ファンとして、響鬼は失敗したのだと言う事実からは逃げてはならない。
響鬼を失敗に追い込んだのは誰なのかと言う犯人捜しをすれば、最終的には世界を恨まないとならないのでここではしない。所詮この手の犯人捜しは、八つ当たり先を探すことでしかないからだ。

それと同時に、「それでも、その失敗作を愛している」と言うことは誰に咎められることでもないと言うことも、また忘れてはならない。自分とて、響鬼の途中までは期待してみていたわけだし。明日夢がバイト入りしてもいっこうに猛士の仕事に関わらない傍観者で居続けた当たりでかなりだれてはきたが。

だが、後半のスタッフ一同を貶し続けた人間の言動はどうしても首肯できない。
彼らは自分たちの悪意を解消するため、後半のスタッフを体の良いスケープゴートにしただけとしかおもえない。
つまらないと言うだけなら問題ないが、その先にあるスタッフの人格否定、自分がつまらないと思う『単なる主観』を確度の低い情報と数字の曲解で『己は理性的である』という鎧をまとうかのような行為、画面に出ているモノへの悪意を持った解釈。これら全てが許し難い。
そういう輩は好きなだけ絶望すればいいのだ。絶望する自由は誰にでもあるし、俺にそれを止める権利はない。どうぞご自由に絶望くださいませ。

だが、俺は絶望なんかしないぞ。次があるのだから。