言いたいことは何となく判る…な。

平成仮面ライダーシリーズの多くを手がけたプロデューサー、白倉伸一郎氏の私的blogでの最新エントリ。

http://homepage.mac.com/cron/iblog/C231757084/E20060217005921/index.html

Windows のニオイのするゲイツMac なんて見たくもない。それで Macディスコンを免れたとしても、もはやそれは、私にとって Mac ではない。
こんな事態が起こったとき、私はゲイツ氏や Microsoft に非難のノロシを上げるべきだろうか?

上げてはならない。
私にできるのは、ゲイツ氏にエールを送ることだけだ。
そう思い至ってガクゼンとしたが、どう考えてもそうなのだ。

私の望みは、一刻も早くジョブス氏に復帰してもらい、以前の Mac らしさを取り戻してもらうことだ。あるいは、せめて1機種でいいから、ジョブス氏指揮下での“ホンモノの Mac”をリリースしてもらうことだ。
ところが、この希望を言挙げすることはできない。
そんな希望を表明してしまった瞬間に、実現性が永遠に絶たれてしまうから。

批判勢力が希望する人事や製品にゴーサインを出す企業など、この世のどこにも存在しない。

だから私が絶対にしてはならないのは、ゲイツ氏を批判したり、ゲイツ氏体制下の新製品を非難したりすることだ。それをした瞬間に、私の希望に耳を傾けてくれる人間は、Apple 社内に誰ひとりいなくなる。
私の希望を通すには、自分の思いを隠しとおさなければならない。
むしろ積極的にゲイツ氏の手腕と威徳を褒め称え、彼の経営再建を後押しし、Apple が難局を乗り越えて盤石の体勢が整うのを見定めてから、「ジョブス氏みたいな製品も、たまにはあってもいいのでは?」と要望を出してみる——せいぜい、それしか道はないのだ。

このエントリの記述をわかりやすく自分的に解釈すると、こういうことなのではないか、と。

ゲイツAppleを買ってWindowsの匂いのするMacを出し続けたとする。
そのとき、アンチゲイツである俺は、現行のAppleを貶し続けるべきなのか?
否。Appleが存続さえしていれば、もしかしたら「ジョブスの匂いのする俺の欲しいMac」が出る日が来る"かも知れない"。
俺を含むアンチゲイツが貶し続けることで、ゲイツAppleのプロダクトそのものを止めてしまったとしたら?
そうなると、「ジョブスの匂いのする俺の欲しいMac」など永遠に出なくなるのだ。

だからゲイツにエールを送るべきなのだ。

ゲイツとジョブスをそれぞれ違う人に置換すれば、なんとなーく他の事象にも当てはまりそうではある。
ここで言う『ほかの事象』とは言うまでのこともない。

物分りの悪い人のためにもう少し平たく書き直すと
「日曜AM8:00。テレビ朝日の枠がある限り、もしかしたら君たちの望む作品がもう一度生まれる"かもしれない"」んだよ。
と、そういいたいんだろうなぁ。