どうしても首肯できないこと

蒸し返すようだが、基本的に許せない点を明確にすると

  • 新体制スタッフが手を抜いているに『違いない』という予断を持って語る論調
  • 新体制スタッフが旧体制スタッフに対して『悪意を持って』製作にあたっているという予断を持って語る論調
  • 新体制スタッフが今までの話を『無かったことにして』作っているに『違いない』という予断を持って語る論調
  • 新体制スタッフは、今までの視聴者を『愚弄するために』わざわざ『質を落として』作っているのだろうという予断を持って語る論調

このような、思い込みや被害妄想から来る『予断』と、それをもとに語られる言葉である。

正直、東映の内部事情だのバンダイからの突き上げだのというのは、旧体制の人間も勘案すべき事情で、それをどうにも出来なかったところにも負うべきものがある。
確かに、画作りは真剣で作品に流れる独特の空気感は新しいヒーロー番組として評価されるべきものだろう。出来上がった作品から伝わる『本気度』は非常に高かったとはおもう。
だがしかし、現状の響鬼の事態は旧体制スタッフ『にも』責任があるという現実は理解しなければならない。

ただ、それはそれとして、新体制スタッフの作るものが『感性に合わない』『雰囲気が変わって気に入らない』までは理解できる。っていうか、あってしかるべき意見だろう。そこまでは問題ない。単なる主観から来る見解の相違だ。それで見なくなるのもよくある話だ。『29話を持って俺の中の最終回とする』ってのも、今までの雰囲気と作風を愛した人間なら当然思うことではある。

だが、その先にある劇場版blogへの罵声の浴びせ掛けや、新体制への悪意に満ちたレビューを書いたりする行為、それを容認する態度。新体制により作られた現在の作品を容認することを許さない空気。

そういったものが、今許せないものだといっている。